そうそうそう!! ネット上って、否定的な意見が溢れているじゃないですか。このサイトのコメント欄もそうですけど。
でも人ってたぶん、肯定する時よりも、
否定したいって思った時や、否定されたことを否定したい時に出るエネルギーの方がすごく強いんじゃないかな。
ある記事に対して肯定的な感想と否定的な感想を持ったとき、そのエネルギーは否定的な場合のほうが強くてコメントの書き込みにまで至ってしまうわけです。 だから、1の否定コメントの裏には1の否定があるけど、1の肯定コメントの裏には100の肯定コメントがあるんじゃないかなぁって思います。 かつてニクソン大統領が使った「サイレント・マジョリティ(=もの言わぬ多数派)」という言葉は、まさにネット上でしっくりくるんじゃないでしょうか。(ぼくはまちちゃん!(Hatena))(情報元:まなめはうすさん)
だから苦情には簡単に屈しないで欲しい。
いいや!そんな事はない!(きっぱり否定)
匿名掲示板が嫌われる理由かな
僕は>>1さんを全力で肯定する!
100は言いすぎ
せめて否定1に対して肯定は0.5~0.9くらいじゃないの?
これには同感。肯定って否定が先にあって否定を否定するときには出やすいですが、まっさらな状態からいきなり肯定は出にくいですよね。
ゲームの感想も楽しい部分あったはずなのに
不満ばかり連ねて、それを見た遊んでない人
までもが糞ゲーだと判断して固まっちゃう事多くなってますよね。
確かに肯定されてれば炎上なんてしないわけだし
雑多な記事なんかを扱ってるところならそうだろうけど、こういうファンサイトなら真逆か額面通りでしょう。
ファンサイトだから否定意見を持っても書かないようにしている利用者だって多いはず。
そうかな?
否定が多いのはくだらない事を間違って伝えてるからじゃないかな?
くだらないから正しかったとしても肯定も受け取れないんじゃないかな?
肯定とか否定とか、
価値観偏りすぎ。
人は自分を大きく見せれる方の行動を取るだけだよ。
肯定した方が賢く見られそうなら肯定するし、
否定した方が強く見られそうなら否定する。
誰だって不人気なものは貶すし、
人気なものは狂ったように褒める。
誰しも己自身のチンケな自尊心の奴隷なんだよ。
八つ当たりで否定コメばっか書き込むのもどうかと思うけど、
肯定しときゃエライってもんでもないでしょ。
大事なのは自分自身の意見を持つことと、
他人の意見を尊重すること。
自分の道がない奴に他人を否定する資格はない。
他人を尊重できない奴に、自分を肯定する資格はない。
こんな高圧的な書き込みしてる俺自身も、
所詮は自尊心の奴隷でしかないわけだけど、
そこらへんは容赦してもらった上で何が言いたいかというと、
否定だらけのさもしい社会も嫌だけど、
肯定だらけの馴れ合い社会も嫌ということだけ。
—
否定だらけのさもしい社会も嫌だけど、
肯定だらけの馴れ合い社会も嫌ということだけ。
—
うう、で結局・・・んなんだ。。。
なんなんだろう・・・。
↑2は何ひとつわかってないだろ
付き合いのある人間同士顔つき合わせてセッションするんならともかく
こうした特定のテーマについて語る匿名掲示板じゃ
“自分”なんてものは存在しないし、それを強く見せる必要性もない(そもそも得がない)
ただそのテーマに対する率直な意見や感想があるだけだ
スクエニ否定意見多いからこんな記事持ってきたのか…
ただそのテーマに対する率直な意見、書いていんじゃないっすか?管理人さんが許す範囲で。その意見の中に肯定も否定もあって、そこにサイレントマジョリティがあるっていうのがこの記事の主題であって、匿名性がどうとか、強く見せたいがどうとか好きとか嫌いじゃないんじゃない?
まぁ、そういろいろ考える一般市民がいろいろいて、サイレントマジョリティって現象(?)があるって説はとても興味深いですね。面白いわ、このサイト。
続き・・・
自分は2行目で、非常に簡単で明確な方法でこの記事の「否定」を書いてみた。
若干議論は逸れたが、この「否定」に対する「否定」の意見が出た。(本当は僕が書いた2つめのコメントに対して、もっと否定意見がでると思ってたw)
サイレントマジョリティは、言い換えると「もの云わぬ肯定」という認識だけど・・・
あえて、否定の意見を作る事で、この否定意見を否定するパワーをもった「サイレントではないマジョリティ」を作り出せるのではないか?
と思った。
で、もしかしたら、政治やプロパガンダは、サイレントマジョリティに意見を言わすために、少数の否定派を温存する必要があって、その温存は意図的であって、僕らはその意図された情報操作の中に生きているのではないか?
っと思った事があった。それがサイレントマジョリティに対する僕の意見だ。
つまり、サイレントマジョリティは情報操作の原材料であって、現在の情報の中では必ずしも成立していないのではないか?という事だ。
でも今回そうはならなかった。
きっと炎上に気を配ったこのサイトの読者の心理か・・・僕の考えすぎか。それとも、マクロな意見としては影響の小さい記事だったか・・・。
本当に興味深かった。
>管理人さんへ
ごめん、炎上したらこのコメント消してくれ。
否定のエネルギー、確かにありますね。
かなりの熱がなければわざわざ肯定する意見を書くことはないと思います。
あったとしても、それは多数の否定意見に対する「否定の否定」だったりしますし…。
書き手側としては、否定されない=肯定、とは必ずしも結びつかないところが判断に迷うというか、もどかしさがありますよね。
物事は表裏一体だと思ってるんで、サイレント・マジョリティがあるならその逆もあると思う。
ニクソンの発言の背景にはベトナム戦争の賛否(ニクソンは賛)という答えの出ないような問題があるし。
俺にとっては皮肉で言えば、菅直人の「支持率1%でも辞めない」と同義だな。