ソニーミュージックの丸山さんといえば非常に有名な方で、久夛良木さんがプレイステーションというハードウェアの父であるとするなら、丸山さんはソフトウェアの父と言えるかもしれません。そんな丸山さんがいまだから話せるプレイステーション開発の舞台裏を、ドワンゴの川上さんが聞き手にまわって紐解いていきます。プレイステーションの前身が、任天堂のスーパーファミコンにCD-ROMを搭載する計画だったことは今や有名ですが、結局は破局します。
丸山氏:
ただ結局、それで発表直前になって、任天堂にキャンセルくらったわけよ。久夛良木とソニー側と広報の担当取締役、そして社長になる前の出井さんが京都まで行って、記者会見の事前打ち合わせをしていたら、「いや、この記者会見は中止になったから」という話が急に来た。
しかし久夛良木さんはこの事実を逆に使って、ゲーム事業がやりたいという自分の野望のためにソニーという会社を動かしていきます。
丸山氏:
ただ、話はここからなんだよ。なぜか久夛良木が、この話を大きくし始めたんだよ。
(中略)
もう凄い勢いで社内で煽りはじめたんだよ。大賀さんにも「ソニーの大賀がハンコを捺したものが、何の理由もなくキャンセルされた。このまま引っ込んで、あなたはメンツが立つんですか!」なんて迫り出すんだよ。すると、大賀さんも「なるほど。これはメンツを潰されているなあ……」となってくるじゃない。
かくして、ソニーは久夛良木さんの言うがままにゲーム事業に多額の投資をしていくことになります。
CPUをとりあえず作ってもらうために、140億円をAMDに放り込んだ。でも、そんなのは序の口で、それから先はドーンと積み上がっていったね。
そして、大成功を収めることになるのはご存知のとおり。ぜひ、みなさんにも元記事を読んで心躍らせていただきたい! 後半にはFF映画で失敗したスクウェアを救済した時の話も出てきますよ!
仕事ってのはこういう風にやるもんなんですね。会社に使われるんじゃなくて、会社を使えばいいんですね。(電ファミニコゲーマー)
あら、初代のプレステってAMDの互換CPUだったんだ。
当時任天堂、セガなど強敵なライバルがいたのに新規参入で当然キラータイトルもなかったプレステをよく成功に持ち込んだよなぁ。
だからこそ必死にサードを取り込んでソフトを出してもらった結果それが功を制して一気に天下をとったっていうのも面白いね。
もし失敗に終わってたら今のソニー、ゲーム業界はどうなってたんだろう。
当時あった素材を熟知しうまく調理して次の世代へ一歩繰り出せる人だったね。そのはっきりしたビジョンが周囲をつき動かしたんだろう。どの業界でも一歩踏み出して成果上げる人はこんな感じだが二歩目にはもう素材も入れ替わってるので続く保証はない。そういう人が社長役員になってる所多いけど、多くは時代についていけず内向きになってブラック化してった。ニコニコ大丈夫か。
ほんと、川上って聞き手下手だな、、、
自社製じゃなくてAMD製だったのか・・・
ちょっとがっかり
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