ドラゴンボールの鳥山明、ドラゴンクエストの堀井雄二を発掘し、さらにクロノ・トリガーの仕掛け人でもある伝説の編集者、鳥嶋和彦さんがジャンプ編集部内の人間関係について語っている記事が面白かったのでご紹介します。
鳥島さんが入った当時のジャンプ編集部は「男子校の雰囲気」「体育会系のような上下関係の厳しさ」でそれが合わなかったと語っています。
ジャンプ編集者の第一の仕事は、毎週送られてくる読者アンケートでいかに人気を集めるかです。ここで人気が取れないと、自分が担当しているコーナーや、漫画家の仕事がなくなってしまいます。しかし、これはパイの奪い合いですから、他人は他人、自分は自分というような感じで、編集者同士が普段からギスギスしているようなところがありました。
週刊少年ジャンプでは3,4人の編集者で班に分けて、4週間ぐらいかけて漫画連載以外の誌面を作っていく体制を取っています。
(中略)
同じ編集部内なのに、班を越えて同僚と親しくするだけでも、自分の班のメンバーからは白い目で見られる感じでした。
というかんじで、横のつながりがない縦社会になっていたそうです。
その後、鳥島さんはゲームをメインに扱う「Vジャンプ」を創刊し、それがクロノトリガーへとつながっていくわけですが、鳥島さんは3年ほどで再び週刊少年ジャンプの編集長になります。
部数減のジャンプの立て直しで96年に週刊少年ジャンプの編集長として呼び戻されます。理由は鳥山明さんの「ドラゴンボール」に続く新連載が欲しかったから。当時の経営陣からすれば、鳥山さんの新連載が始まれば、ジャンプの売り上げも回復すると考えていたんでしょうね。でも、それは難しいと僕にはわかっていた。「ドラゴンボール」をあれだけ無理に引っ張らせた時点でもう次は描けない。
鳥島さんは男子校のようだった編集部内の雰囲気を変えることを始めるわけですが、一方でアンケート至上主義は残しました。
90年代当時、約3万通のアンケートハガキが毎週送られてきました。早いものでは、火曜日の夕方には300通ぐらい届きます。これは「速報」と言って大変貴重な情報源でした。火曜日の夕方なら、その週の号で進行している原稿にぎりぎり反映させることができます。
アンケートを読者からの意見を反映する双方向の手段として考えていて、ほかにも学校の生徒が自由に編集部の見学をできたり「ジャンプフェスタ」を始めてみたりと、読者からフィードバックを得る仕組みを作っていったようです。