昨日のお昼ごろに記事が公開されてから読み切るのに時間がかかり、ご紹介が遅れました!電ファミの記事はいつもながら長いですが、内容もめっちゃ濃いのでかみしめるのにかなり時間がかかります!引用して紹介しようにも、どれも話が面白すぎてちっとも選べません。序盤の序盤に出てくる吉田Pのアルバイト経験だってこの濃さ。
バイトはいろいろやりましたよ。当時時給345円のケンタッキーフライドチキンから始まり、夏休みを通して肉体労働系のバイトをやったりなど。(中略)小学生のころから遊びに行っていたお店に、高校卒業前の丸1年間バイトで雇ってもらったんです。その当時あった任天堂エンターテイメントのブースを担当して、ソフトの仕入れから常連客への対応まで全部やらせてもらった経験は大きかったです。(中略)たとえばその店では、アンパンマン関連のグッズが系列チェーンの中でも群を抜いて売れていました。ウチの店長からは仕入れのときに、「とにかく発注書に30個と書いておけ」と叩き込まれました。(中略)実際に店に立っていると、疲れた顔をした親子がやってきて、「アンパンマンの○○はありませんか?」と確かに訊いてくるんです。
「ありますよ」と差し出したときのふたりの喜びようは半端じゃなく、それが「市内中どこの店を回っても見つからないものが、あそこの店には絶対にあるという安心感になっていくんだ」と店長は言っていました。(中略)店長は函館市内の小学生が、学年ごとに何人いるのか調べていたそうです。
ビジネスパーソンとしての学びもあり、いい話であり…。
そんなゲーム業界に入る前の話に始まり、MMORPG談義を経て、松野氏がクエストに、吉田Pがハドソンに入社した頃の話へ。「昔のゲーム開発はこうだった」というところなんですが、よく言われるように仕事が細分化されておらずジェネラリストになる傾向があったようです。
松野氏:
基本的にプランナーがゲームデータを用意するという文化が僕のいたころスクウェアにはあったんですが、それは業界を見渡しても結構特殊な例なんです。(中略)ではスクウェアがなぜそうなったのかというと、坂口(博信)さん、(田中)弘道さん、河津(秋敏)さんのような、当時、上にいた方たちがプログラムを組めたからなんです。
そのままソースコードに入れられるようなデータベースが構築できる人たちのもとでゲームを作る文化だったから、プランナーにもそれが求められることになったんですよ。
なるほど!プランナーがプログラムをわかると、プログラムのことまで考慮しながらゲームデザインできるという利点があるんですね。スクウェアは昔から技術を突き詰める印象がありますが、それは何もナーシャ・ジベリのプログラムが凄いだけじゃないと。
吉田さん、皆川さん、伊藤さんという松野さんの周囲の天才たちの話や、ゲーム以外のエンタテインメントの話、そしてゲームにおける「作家性」の話へと展開していきます。そして、インタビューの最後は今後の展開について。
吉田氏:
いまはこうして『FFXIV』でようやくごいっしょできましたが、僕は『タクティクスオウガ』の次というか『オウガバトル』サーガの続きも見たいし、『ベイグラントストーリー』のエンディングのあとがどうなるのかも見たい。でも複雑なのは、それらを松野さんがやるんだったらいっしょにやりたいんですよ。(中略)さらに「ほかの人とやってほしくない」という。(中略)松野さんと本気でやれるなら、ほかの仕事は全停止ですね。 いっしょに仕事すると、僕の愛情は相当ウザいですよ!(笑)
なんかもう、この超ロングインタビューを読んでいるうちに、だんだん吉田Pの愛の告白を聞かされている気分になってきますよ…。松野さんを好きすぎるでしょこれ…!! いやーでも、いつか本当に吉田P+松野Dの新作HDゲーム、やってみたいです!!
正直、インタビューの面白さはこの文字数では伝えきれず。ぜひ熱い熱い元記事をご覧ください!