ゲーム開発者が一堂にあつまってノウハウをプレゼンし合うイベント、CEDECが今年も開催されました。FF15の開発に携わったLuminous Productionsシニアゲームデザイナーのサン・パサートウィットヤーカーン・パサート氏が同作におけるキャラクターのデザイン手法を講演しました。講演の記事がGameWatchに掲載されていますのでご紹介します。
FF7をはじめFFシリーズが大好きなサン氏にとって、FFはパーティに男も女もいて仲間が次第に増えていくことが当然だったそうですが、実際は…。
サン氏を待っていたのは「仲間は男だけ」、「衣装が黒い」という2重の衝撃。「え、女の子は?!」と最初は思ったそうだが、想像とギャップがありすぎて「これは新しい体験を作り出すチャンス!」と逆にポジティブになったという。
なんてポジティブ思考なんだ…!
サン氏が講演で最も強調していたのは、ゲーム内でキャラクターを魅力的に描くことの大事さだ。見た目やカットシーンのセリフだけではない。特にゲームという複合的なメディアでは、ゲーム内に存在する様々な要素から、キャラクターを幾重にも「体験」することになる。その「体験」の中でプレーヤーが少しでも違和感を感じてしまえば、キャラクターの魅力は一気に失われる可能性がある。逆にその「体験」が常に効果的なものであれば、プレーヤーの心を掴んで離さないキャラクターになってくれるだろう。
サン氏はこうした「体験」を「キャラクター・エクスペリエンス(CX)」(=キャラクター体験)と定義して、ゲームデザインに組み込むためのアプローチを行なっている。
講演では、プロンプトのキャラクターデザインについて、その手法が語られています。「表面的魅力」と「本質的魅力」の両方を考え、キャラの魅力を伝えるためにプロンプトには特に「ステレオタイプ」、「人間味」、「葛藤」という3つのステップを設計したそうです。「ステレオタイプ」は表面的なお調子者のキャラクター、「人間味」は実は内面はオタク気質であるというギャップ、「葛藤」はプロンプトの本心の部分。
実は自信がなかったり、昔は太っていたり、本人は本人で葛藤していることがだんだんとわかってくる。長い時間を一緒に過ごさないとわからなかったような濃い感情が本人からさらけ出されることで、「ああ、プロンプトは本当はこういう奴だったんだ」と理解する。プレーヤーがプロンプトのことを「完全に理解した」と思うとき、プレーヤーとキャラクターの関係性が成立する。
これまでのFFでも仲間キャラクターの過去がゲーム中盤でだんだん明かされていくというのは定番の流れでしたが、FF15はそれをもっとプロセスとして整理して、さらに普段のゲーム体験にも落とし込もうとしていたわけですね。
確かに、FF15をずっとプレイしていると本当に彼らと旅をしているような錯覚に陥り、旅の疑似体験を通してキャラクターの内面を深く理解していく中で、だんだんキャラクターのことが好きになっていくようになります。
個人的にはアニメ作品「BROTHERHOOD FFXV」でのプロンプトの描かれ方がとてもよくて、あれで一気に好きになりました。CXはゲーム内にとどまらず、様々なメディアやコラボ作品群も含んで統一的にデザインしていく必要あるんでしょうね。
キャラクターの魅力というのは日本のゲームが特に秀でている部分だと思いますので、今後の作品でもこだわって欲しいですね。
ヴェルサスのキャラの設定を変えたのはこいつかそれで出来上がったのはカマホモか
うーんキャラクターやセリフの掛け合いは自分が15にのめり込めなかった最大の要因なんだよなあ
何というか人為的で背後に製作者の影が見えてしまって…
これがデフォルメされたビジュアルなら許容できたんだろうけどリアルなグラフィックだと違和感がどうしても目立ってしまってた
キャラ作りを自負するあまりFFはコミックテイストなキャラクター性になりがちだけど、リアルテイストでもアンチャみたいなキャラ立ちしている魅力的な作例あるんだから、次回作ではそっち方面のプロを招集するなりしてほしいわ
リアルテイストでアンチャーテッドみたいなゲームやりたければアンチャーテッドやればいいと思うんですよね
FF15にはFF15しかない方向性でいいし、FF16にもそれにしかないキャラクターを作ってほしい
昔なんかで話題になったけど、FFのナンバリングを海外のスタジオが作るってなったらそんな化学反応でもいいし
個人的には好きな雰囲気だったんですけど、世間を鑑みるとお世辞にもいい出来とはいえませんね。
まあそろそろ洋ゲーみたいな雰囲気を入れるのも良いかも。個人的には(難易度を除けば)そういうのが意外に馴染みやすいし。
いずれにせよ、素人考えながら、スタッフや体制の刷新が必要ですね。
全部ハリウッド映画のグッド・ウィル・ハンティング/旅立ちからパクって
主人公の顔だけNARUTOのサスケェに変えただけなのに
よく恥ずかしげもなくこんな事言えるもんだな
ぶっちゃけ、洋ゲー意識しすぎなんだよ。すんごい疲れるゲームだったというか。
あと、イケメングループに入る体験は乙女ゲーでやればいいと思うんだよね。さらに言えば女っ気ないグループがリアルにおいて魅力的とは感じ難い。
100歩譲って、そこがokだとしても主人公の行く先を遮っておきながら、強行突破しようとすると遮ってたことを謝るわけでもなく、やめてよね、なんて言われる人間に魅力は感じない。
あと、発売から1年半経ってもまだ今まで聞いたことのない想いとか語るの?
ヴェルサス13がやりたかった
制作の都合上仕方のないことですが、街や国や人物や大陸や物語など多くの要素が省略されて、それを無理やりつなげたのが残念ですね。本編では描かれず、アニメや映画を見ないと物語やキャラクターの背景が分からない作りになっているのも疑問を感じます。本当にキャラクターを理解してもらいたいのなら、ゲーム本編のみで完結してほしかったです。重要であったはずの心の葛藤や仲間との衝突も、もっと丁寧に描いて省略せずに見せてほしかったです。映画のシーンを断片で見せたり、10年後のシーンをいきなり見せられたり、家系の話で怒鳴られたりとプレイヤーが知らない情報を次々に出されて、終始違和感だらけでした。幼少期の仲間との出会いや祖国での物語がそんなに素晴らしいならゲーム本編で描くべきだったと思いますよ。祖国を失った悲しみも憎しみも、主人公の祖国をよく知らないプレイヤーには伝わってなかった。プロンプトの秘密もそうですが、プレイヤーからしたら新しい謎が出てきて、それを理解する前に、別の謎がでてくるので、どうしても感情移入しづらいし、その謎が必要だったのかさえ疑問に思います。それほど驚きも感動も薄れて勿体無いですよ。
ここ最近のは本当に感情移入出来ないんですよね
一切散策もしてない国が序盤に崩壊したところでぶっちゃけただの他人事でしかないんです
例えばFF9のリンドブルム、アレクサンドリア等が同じような目に合いますが
自分の足で散策し町の人々と話し仲間と旅し過ごした場所が崩壊してしまう様を見るのは何度やっても感じ入ってしまうものがあります
それがあるからこそ悲しみを感じ敵に怒りも感じ主人公達の旅の動機や目的とプレイヤーが自然と同調し
プレイヤーが旅を進める動機にもなるわけです
それがFF15ではプレイヤーが行ったことも無い知らない国がプレイヤーの感知しないとこでいつの間にか崩壊している
そしてそれを取り戻すのが旅の最終目的になってしまっている
主人公たちの感情はとてつもない絶望と悲しみにあっても、プレイヤーは悲しい出来事があったんだなという程度で
大した悲しみもなく最初の時点でとてつもない感情のギャップが生まれてしまっている
ラストに古郷に帰ってきたところでプレイヤーは訪れた事すらないので感慨も少ない
FF13も同様でライトニングは妹のセラを助けるのが旅の目的ですが
プレイヤーにとってセラは回想の中でしか語られない過去の出来事の他人でしかありません
果たしてライトニングと同じようにセラを助けたいと思いながら旅をしてたプレイヤーがどれだけいたのでしょうか?
最後にセラが復活したことに感動出来た人がどれだけいたでしょうか?
主人公達が大切にするものはプレイヤーにとっても大切でないと
そもそも何のためにプレイしてるのかプレイヤーは目的を失ったまま突き進む事になってしまいます
そんな中で幾ら格好いい言動があり感動的な場面があっても
プレイヤーは一歩引いた所から他人事のようにストーリーを見るしかなくなるんです
最近ロイヤル出てから遊んでる人のゲーム配信みたりしてるけど
なんでこのゲームが酷評されてるんだと終始言ってるのが印象的だな
ロイヤルで初めて遊ぶ人の満足度は高いらしい
それが何人くらいなのか知らんし、ロイヤルが初見の人は10年も待ってないし、事前に入ってる情報も違うからなぁ。
あと、アプデも出きってるし、DLC入ってあの価格は良心的。
ただ、今振り返っても無印買った人、さらにシーズンパスまで買った人への仕打ちはひどい。
10年間と1万円以上払ってまでやるゲームのクオリティではない。
是非、他のゲームでは味わえない極上の体験が得られたか、やり続けられるゲームだと感じたか聞いてみてほしい。