ドラクエの生みの親である堀井雄二さんへのインタビュー記事のご紹介です。ファミコン版「ポートピア連続殺人事件」の35周年というところに話が始まり、ドラクエの誕生秘話が語られています。当時をよく表していて面白いと思ったのが次のくだり。
――シナリオは最初から結末まですべて決めてから開発を始めていたのでしょうか?
開発前に決めているのは、ざっくりとした部分だけです。「主人公はこんな人物で、魔王を倒す」というところまでは決めていますが、こまかいところは徐々に決めていきます。最初の打ち合わせ段階では、まずメモリの配分について決めることから始めていました。マップにこれだけデータを持たせて、モンスターの分野にこれだけ持たせてという専門的な内容です。それに合わせてマップを描いて、マップに人を置いて、人に番号をふって、せりふを書くといったように設計図を書いて、プログラム担当のチュンソフト(現在は株式会社スパイク・チュンソフト)に渡すわけです。
メモリ配分からゲームデザインを決めていくというのは、シナリオとプログラムの両方に精通している当日のゲームデザイナーならではですよね! でも、現代のゲームソフト開発でも構想ばかり大きくなってしまうと、開発スタッフの人数、規模、期間、予算に合わずに発売できないなんてことになりますから、こういうセンスは今の時代でも必要なのかも…。
それから、氏のゲームへの考え方がよくわかる次のところ。
Nintendo Switchの「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」にはまりました。はまった理由は、空を飛べるシステムにあります。「飛んでいかにモンスターに遭わずに崖まで行くか」という、ある意味”ズル”を探すゲームだと思っています(笑)。いかに少ない苦労でゲームを進めていくか、最高の成果を得られるかっていうのが楽しかった。そもそも人間って、ズルが好きなんですよ。ドラクエの世界でも、ズルには寛容です(笑)。
このほかにも、ジャンプの伝説の編集者である鳥嶋さんとの話や、すぎやまこういちさんとの出会いなど、面白い話がいろいろ。ぜひ元記事を読んでみてください。合わせて、以前ご紹介した鳥島さんへのインタビュー記事も読むと、理解が深まると思います。