PC/スマホで発売された「ピクセルリマスターFF4」について、オリジナル版FF4の中心人物であったスクエニの時田貴司さんへのロングインタビューがファミ通に掲載されていますのでご紹介します。発売後にTwitter上で話題になっていた開発室が削除されている理由について、次のように語られています。
開発室閉鎖されてるww#FF4#FF4ピクセルリマスター pic.twitter.com/tDgDg33nFp
— アミノサンダー🌙🎨 (@Amino_Thunder01) September 8, 2021
時田「時田よ、なぜ開発室を削った!?」なんてファンの方々から言われましたが、僕はそこには関わっていなくて、むしろ残しておいてほしかったです(笑)。ただ、事情としては当時の開発スタッフ全員に確認をとったり、リメイク版の開発室は用意するのか否かとか、そのあたりが絡んでいると思います。あとは、いまの時代ではコンプライアンス的に問題のある発言をしてる人とかもいるので……。あ、僕なんですが(苦笑)。
このインタビューの面白いところはこの開発室にまつわる話ではなく、オリジナル版のFF4開発秘話。
当時は1週間に1回家に帰るか否か、くらいのレベルで会社にずっといましたからね。とはいえこれは上司から強制されてるのではなく、みんな自主的に泊まって開発していました。みんな0時まで仕事して、あとは会社で酒盛りして、興が乗ったらまた仕事して、みたいな感じだったので、仕事っていうよりは合宿と飲み会の延長でゲーム作ってました(笑)。
(中略)
『聖剣伝説』チームも隣りで泊まりでやっていて、0時まで仕事したら、よく北瀬と『ドクターマリオ』で対戦するってのが日課でした(笑)。みんなで『ファイヤープロレスリング』だとか『ストリートファイターII』とか、仕事中でも「1回だけ対戦しない?」とか言って遊んでたりしながら、開発していましたね。
もう社会人というか、大学の研究室みたいなノリですね!めっちゃ楽しそう…。
そして、ドラクエをライバル視するあまり、開発中だったファミコン版のFF4をボツにしてスキップした話が語られています。渋谷員子さんも、ファミコン版FF4がボツになった話をされていましたが、ドラクエより先にスーパーファミコンで出すためたったんですね!
ナンバリング的にも『ドラクエ』のほうが1歩先を行っていましたし、毎回「くそ~! 今回の『ドラクエ』はこうきたか!」と毎回思って、まさにライバルでした。だからこそ、『FFIV』は『ドラクエ』よりもはやくスーパーファミコンで出して、驚かせてやりたいって思いがみんなにもありました。ですから、幻のファミコン版“FFIV”がボツになり、“FFV”として作られていた『FFIV』が発売となったのです。
実際の発売時系列で並べてみるとこのとおり。
・1990年02月11日 ドラクエ4(ファミコン)
・1991年07月21日 FF4(スーパーファミコン)
・1992年09月27日 ドラクエ5(スーパーファミコン)
・1992年12月06日 FF5(スーパーファミコン)
結果的にはFFがドラクエに1年以上も先行してスーパーファミコンに移行する形となりました。とはいえ、開発スタッフ同士の仲はほくて、坂口さんと堀井雄二さん、中村光一さんも交えて飲み会することもあったそうです。
インタビューではこのほか、エンディングでカインの素顔の後ろ姿を出すことができた経緯や、キャラクターたちのアニメーションが表現豊かになった理由、魔法をからめたシナリオやバトル中イベントなどの演出面などなど、めっちゃ興味深い話が目白押しです。ぜひ全文を読んでみてください!
合わせて、こちらの北米公式サイトでのロングインタビューも読むと一層理解が深まります。