日経ビジネスにスクエニHDの福嶋名誉会長のインタビューが4回にわたって連載されており、完結しましたのでご紹介します。福嶋氏は株式会社エニックスの設立者にして、今なおスクエニの株の25%を握る最大のオーナーです。エニックスに至るまでには、中野ブロードウェイの月刊情報誌、寿司事業、海外放浪、不動産情報誌での成功、コンピュータの代理店事業などなど、紆余曲折があり、そんな激動の半生が4回にわたって語られています。
・第一回:世間知らずが大恥かいた幻の起業
・第二回:タイムマシンで通じた「ドラクエ」への道
・第三回:エニックスに集った“導かれし者たち”
・第四回:到達した「試行錯誤こそ経営」の境地
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ドラクエ誕生の経緯は集英社でジャンプ編集長をしていた鳥嶋さんのインタビュー記事や、合併の話はスクエニ社長だった和田さんのnote記事を合わせて読むと、多面的にわかって一層面白いです。
ドラクエ誕生のきっかけとなった、エニックスのコンテストは次のような経緯で賞金が決められたんですね。
ゲームの黎明(れいめい)期は、クリエーターが個人的に開発したソフトを、企業が買い取って販売するのが一般的。私は「野に潜む才能を発見し、一堂に集められないものか」と考えました。そこで、ゲームソフトのコンテストを思いつきます。パソコンショップなどにポスターを貼って作品を募りました。コンテストを開催する会社は他にもありましたが、私は勝負に出ます。30万円が一般的だった最高賞金を、「最優秀賞は100万円」とぶち上げたのです。
しかし、応募作はなかなか集まりません。原因は2つ。知名度の低さと賞金の高さです。当時はコンテストに応募しても「該当者なし」でうやむやになる場合が多かった。「エニックス? どこの会社だ?」と応募者たちは怪しんだことでしょう。そこで「最優秀賞は必ず出す」とパソコンショップなどに呼びかけてもらい、最終的に約300の作品を集めました。
その後の展開や、集英社のからみは鳥嶋さんインタビューで次のように語られています。
佐藤氏:
それがあの「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」でしょ。一位が『森田将棋』の森田さんで、2位が後のスパイクチュンソフトの中村光一さん、佳作に堀井雄二さんが入賞したという。振り返ればむちゃくちゃタイムリーな企画でした。新しい才能が発見されるのを待ってた感じだったね。――あの伝説の……でも、それがまさかこんなデタラメな経緯で始まっていたとは(笑)。
鳥嶋氏:
でもさ、当時の千田さんはなけなしの100万円を優勝賞金にして、各出版社に協賛をお願いして回っていたんだよ。僕のところに持ち込まれたときには、既にNHKが協賛してたと思う。でも、僕からしたら、パソコン特集の次の展開を考えなきゃいけない時期だったから、もう渡りに船。その場で「ジャンプの独占で協賛をやるから、他の雑誌には一切持ち込まないでくれ」と千田さんに言ったの。――え、あのコンテストはジャンプが独占で協賛していたんですか。
佐藤氏:
しかも、そうしたら中村光一さんが『ドアドア』を送ってきちゃったわけでしょう。鳥嶋氏:
あれほどの天才が送ってくるのは想定外だったんだけどね。まあ、僕のところに持ってきた時点で、森田さんは既に仕込みで入っていたけれども。
なお、日経ビジネスではないですが、似たような内容を語っているYouTube動画がありますので、貼っておきます。