FF6の30周年イヤーということで、スクエニ野村哲也氏へのインタビュー記事が公式FFポータルサイトに掲載されました!当時の貴重な裏話がたくさんなのですが、特に気になったところを抜粋。
モンスターデザインは『ファイナルファンタジーV』でもやっていたのですが、その時は自分と先輩で担当していて、『ファイナルファンタジーVI』の時も自分+後輩二人でやっていました。やはりボスはみんな担当したがるもので、『ファイナルファンタジーV』の時は先輩が譲ってくれたので自分が担当させてもらいました。エクスデスも色々とくっついて大きかったですが、それより大きいものを作りたいという思いがあって、その結果が『ファイナルファンタジーVI』の神々の像で爆発した感じです。
そもそも当時はいわゆるデザイン画を起こしてからドットを打つというのはあまりみんなやっていなかったのですが、自分はそのやり方でやっていました。神々の像もスケッチブックに一画面分ずつ描いて、繋がるような感じのデザイン画を描いていました。
あのラスボス戦は、階層が上がっていく仕組みが衝撃的で、デザインも美しさと禍々しさが共存している物凄いものでしたが、こんな裏があったんですね。
今では考えられないですが、自分の家に後輩が泊まりに来て一緒に企画書作ったり、深夜に会社でCDのボリューム上げて同僚たちと仕事したり、合宿感覚で制作現場が楽しかったなという思い出があります。企画より先にモンスターやキャラクターのデザインを描いたり、やりたいことを企画書に落とし込んだりして、スキを見はからって北瀬さんのところに提案しに行っていましたね。当時は意識していませんでしたが、常に面白いものを作るためのことばかり考えていたと思います。そういう面でやる気だったり実力を評価してもらえて、その後大きな仕事を任せてもらえたのかなと、勝手に解釈しています。
他にも、FF6-7時代にデザインしていた「女性ラスボス」の案がFF8でイデアとして後に具現化したり、シャドウとセッツァーについての強い想いだったり、いろいろ語られています!ぜひ全文読んでみてください。
花の都は、井戸が枯れ、荒れ地が広がっているという。
そんな胡弓が、闇夜に紛れて、漏れ伝わっている。
南には、八百万の古戦場があり、
父君の骨は、神々の吐いた雲で覆われたままだ。
長安には、四川の皿が並び立ち、
千鳥足にも負けず劣らぬ、荘厳の京である。
芥川ほど退屈で、ごみごみした居は他になかった。
仕事に追われ、買い物さえも忘れ、
喧噪も何処か滅入ってしまう様子であった。
ある男が、桜吹雪に憑りつかれ、長々と唄を読み上げ、
詩作は、あっぱれな鬼才だと評判であった。
人気は日の出の如く、神出鬼没は流れ星のように。
己に似つかわしくないと、満更でもない。
その男が評するは、我らが首都の体たらくだ。
倫敦よりも巴里よりも、図々しく、生意気である。
藤原惺窩の如きなのだが、ひとつ輝きが違った。
注文の多さだけは、江戸も遠く及ばず、
地上で栄える唯一無二の浮世の港、
面影が泳ぐは魂の古里、思い起こすは天上の君。
FF6は予約して発売日に買って遊びまくったが
そうか、あれはもう30年も前かぁ